ASAの、ただのクルマ好き 第200回 自分勝手に昭和、平成を愛車で振り返ってみましたよ その2

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投稿日時
2019/04/30 22:59
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時代はターボ車

真っ赤なセダンが流行ったんです


このコラムもやっと200回目です。好き勝手に書き続け、気づけば結構長い間書いてました。よく続いたもんです。これからも気ままに続けていけるといいなぁ、と思っているASAです。


さて、愛車の2回目は大学3年の初夏に納車された真っ赤なブルーバード1800SSS E-X ターボです。


春休みに事故でジェミニを廃車にしてしまい、次のクルマはどうしよう、と考えていたんですね。ボクは当時出たばかりのローレルが気になっていたんです。理由はひとつ。リヤサスにオートレベライザーが付いていたから。どうも変なメカに惚れちゃう性分なんですね。

 

でも、兄貴は当時出たばかりのターボ車がいいと主張。セドリックはデカいのでブルーバードがいいというんです。

 


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でも、ボクは、910ブルのマフラーの取り回しが嫌いでした。だって、テールパイプがマフラーの後部から出てなくて、サイレンサー内部でUターンしたマフラーのパイプが、サイレンサー前部から前方に出てそこからまたUターンして後部に向いているという変な構造。見た目にもカッコ悪く感じたんです。


しかし、兄貴の強いプッシュで、結局はSSSE-Xターボの5MTになったんです。ま、結果オーライだったんですが。

 

このクルマも確かパワステはなかったと記憶してます。当時は、パワステやオートマの設定があっても、そんなクルマはスポーティじゃない、と人気がありませんでした。今じゃ考えられません。でも、パワーウインドウは付いていて、スゲー、と仲間に言われた覚えがあります。そんないい時代です。

 


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あと、音声の警告が搭載されたのも、当時としては最新でした。ライトを消し忘れてエンジンを止めると「ライトが点いています」と女性の声で知れせてくれるんです。聞いた話では、あの声は大原麗子の声だったとか。もう一度聞いて確認してみたいです。


このクルマでは結構飛ばしましたね。グロス135psと今考えると大したパワーじゃなかったんですが、当時はこのクラスでは最速の国産車でした。トヨタはDOHCで頑張ってましたが、やはりターボパワーは圧倒的。その後トヨタもターボ車をたくさんだしてきましたね。

 

もちろん、ブルも結構手を入れました。フェンダーパテ埋めでドアミラーを皮切りに、ホイールはイントラのスポーク。185/70R14のピレリP4を履いたり、初めて50タイヤを試してみたり。



ショップアブソーバーはビルシュタインを付けてましたね。高かったんですが、乗り心地やハンドリングは今までにないもので、本当に付けてみて良かったと思ったパーツです。その後、ボーゲやコニなんかも試しましたが、やっぱりビルシュタインが1番でした。


エアロパーツも初めて装着しましたよ。エアロの流行初めで、国産品はいかにも付けました、といったど派手なモノが主流。でもそれは嫌だったんで、ドイツ製のコッホ・ウント・オーバーヘック製のさりげない純正風のものを装着しました。

 

フロントは硬質ウレタン、リヤは軟質ウレタンと、当時主流のFRP製とは一線を画する品質で気に入っていたんですが、ある日駐車場に行くと、リヤスポイラーが折れ曲がっているじゃないですか。


どうやら夜間に盗もうと無理やり引きはがそうとしたところ、頑丈に固定してあったために半分引きはがしたところで折れてしまったのでそのままで逃げたようです。いまでもあの時のショックは忘れられません。


マフラーも初めてスポーツマフラーを付けましたよ。最初に買ったのはトラストのスポーツマフラー。スポーティな排気音と、加給圧が少し上がったのか加速が良くなった気がしました。その後、オプション誌でバイトをするようになって、フジツボマフラーを装着。

 

フジツボは実家の近所に本社があったこともあって、当時元気でいらっしゃった先代の藤壺勇社長には親切にしてもらいましたね。フジツボとはそれ以来のお付き合いで、当時まだ小学生だった現社長の息子さんも、今では立派なおじさん。もちろん、フジツボを立派に切り盛りしているようですよ。


はいはい、ブルターボですね。続けますね。

ボクにとっては初めて新車から付き合ったクルマなので、それはそれはいつも磨いてました。雨が降ってら洗い、汚れたら洗い、そしてワックス。磨き過ぎたせいでフェンダーのエッジ部の塗装が剥げてしまい、下地が出てしまったんです。


当時のソリッド塗装はトップコートのクリアがかかっておらず、コンパウンドが入ったようなワックスを使うと、拭き取りクロスにボディの塗装色が付いたんです。で、それを繰り返しているうちに塗膜がすり減って下地が出ちゃったんですね。


いやー、磨き過ぎはNGとその時悟りました。やっぱり、なんにでも限度はあるということです。その後のクルマではかなりズボラになり、洗うのも基本は洗車機。手洗いなどほとんどしなくなりました。




ま、それでも今のクルマの塗装は強いので、10年くらい洗車機だけでも十分にキレイです。よく見れば小キズはたくさんついてますが、目が悪くなっているので気にならなくなったのがいいところです。


このクルマでも何度か事故を起こしました。一番覚えているのは、友人と待ち合わせをして急いで駅に向かった時のこと。ほぼ直角の左コーナーに入ろうとしたところ、対向車のタクシーが完全にセンターラインを割って向かって来たんです。

 

とっさにアクセルペダルを戻し、さらに左に打を左に入れたところ、後輪の駆動がすっぽ抜け、しかも小雨模様で路面がぬれていたこともあって激しくてスピン。運悪く、路肩に乗り上げてその横にあった家の門に当たったんです。

 

その門は、下に降りる階段の前にあったんですが、階段の手すりがつながっていて、しかも古くなっていて下の部分が錆びていたこともあって、下まで押されるよに全部折れちゃったんですね。


クルマは前輪がその門に挟まり身動きできない状態に。レッカー車を呼んで引っ張ってもらい、なんとか路上に戻したのですが、右前輪が完全に内側に曲がってしまって、そのまま修理に。しかもディーラーの修理がいい加減で、戻って来たクルマは逆キャンバーがついたまま。再度修理をする羽目に。それ以来、クルマの修理はディーラーに入れずに信頼できる整備工場に入れるようになりましたよ。

 

次に覚えているのは、夜国道246を走っている時、対向車線から目の前に飛び出してきたバイクを避けた時の事故。都内の246、三軒茶屋の辺りは中央に首都高の架橋があってUターンできるところは限られているんです。

 

で、信号が変わって直進したところ、前方の中央付近に見えたバイクがなんとタイミングを間違ったのか飛び出して来たんです。追い越し車線を直進していたボクは、第2車線に車線変更して避けようとしたのですが、そのバイクは車線を横切って、さらに第2走行車線に入って来たじゃないですか。


そのまま行けば完全にバイクに当たってしまうので、仕方なくさらに左に打を切ってガードレールにクルマを自分でぶつけて止めましたよ。

 

で、普通なら原因となったバイクは止まると思ったのは大きな間違い。なんとそのまま走り去ろうとしたんです。ボクは急いでクルマを降り、走って追いかけました。幸いにも事故の状況を見ていた他のクルマのドライバーがそのバイクを止めてくれたので、バイクを捕まえることはできたんですが、バイクに乗っていた女性ライダーは悪くないの一点張り。

 

警察も入れたのですが、当たっていないから自損事故だというじゃないですか。じゃ、バイクに当ててはねたら良かったんですか? こっちはバイクを助けたんですよ。というと運が悪かったね、的なことをいうだけ。結局保険会社も、状況的に言って自損事故扱いとのことで終了。なんとも納得できない事故でしたね。


ちなみにその女性ライダーは看護婦。呆れてものも言えません。そんな看護婦にちゃん看護ができるのか疑っちゃいました。


というわけで、このクルマも事故を繰り返しましたが、それでも4年ほどで10万km以上走りましたね。結構気に入っていたんですが、働き始めて少し金回りが良くなった時に一目ぼれしたのが、リトラクタブルヘッドライト採用のアコード。DOHCエンジンに4輪ダブルウイッシュボーンサス。当時のクルマ好きにはたまらないスペック。発表と同時に注文しちゃったんです。しかも、家のブルターボを勝手に下取りに出したので、あとで親から請求書が来ちゃいました。このアコードの話は次のコラムを読んでくださいね。

 

下取りに出したブルターボですが、いまでもたま運転したり磨いている夢を見ます。チャンスがあればまた運転してみたいなあ。