第179回 徳大寺さんの愛したカレー(3) 

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投稿日時
2016/09/30 14:28
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(前回の続き)徳大寺有恒さんはレーシングドライバー、雑誌編集者などを経て自動車評論家に転身。それまで本名で執筆活動を続けていましたが、はじめて“徳大寺有恒”のペンネームを使ったのが、1976年に刊行された『間違いだらけのクルマ選び』(草思社)からです。同著は出版と同時に大変な話題を呼び、「間違いだらけの〜」のフレーズは自動車業界に留まらずに流行語となりました。以来、この本は毎年度版を重ね、常に単行本売り上げの上位にランクインし続けてきました。

しかし、徳大寺さんの人生は決して順風満帆なものではありませんでした。

裕福な少年期を過ごした氏は、大学卒業後にトヨタのワークスドライバーとして国内レースに参戦するも成績が振るわず解雇されてしまいます。その後は持ち前の商才を活かして自動車用品会社『レーシングメイト』を経営して成功しますが、ほどなく有力な卸先の倒産で会社は連鎖倒産してしまいました。

莫大な負債を負った徳大寺さんは、借金返済のためにタクシー運転手や雑誌編集者などの仕事を続ける傍ら、フリーランスとして本格的に評論活動を開始し、どん底の生活のときに執筆した『間違いだらけのクルマ選び』が大ヒットして一躍時代の寵児となったのでした。

挫折を何度も経験した徳大寺さんだけに、その評論スタイルは常にユーザー目線に立ったものであり、コストや販売台数を優先する国内メーカーを一貫して批判し、操縦性や乗り心地、使い勝手という、クルマ本来の魅力に溢れた製品作りを訴え続けました。

また、クルマを性能面、機能面だけで語るのではなく、社会的、文化的な側面から捉える批評を展開。そこには徳大寺さんの人生哲学であるダンディズム、すなわち「男らしく生きる」という考え方が強く影響していたようです。「エレガントに、カッコ良く、ジェントルに生きる」ことを人生の目標としていた徳大寺さんにとって、経済性と合理性ばかりを追い求める日本車は受け入れ難かったのかもしれません。そんな氏が愛したのはジャグァーに代表される英国車というのも納得です(続く)。